ひとくちメモ


再 会
     第115号(2015年8月)
 

お盆といえば、30年ほど前に、あるご門徒のおばあちゃんから聞いた言葉が今でも懐かしく思い出されます。当時、徳蓮寺ではまだお盆法要は執り行われておらず、ご門徒のお宅へ一軒一軒お盆参りに伺っていました。お正信偈を一緒に勤めた後の「亡くなった人にはお経が一番のごちそうじゃ言いますけ。」というおばあちゃんのこの言葉に「亡くなった人にとってお経は食べ物か!?というか、お正信偈は親鸞聖人がお書きになったものだから正確にはお経ではないし、内容も死者を喜ばすようなことは書かれてないんだけどな。」などと考えていました。
 学生だった私には祖父母よりも上の世代のこのおばあちゃんに説明や説得をする自信もなく、このことは何となくごまかしてやり過ごしました。
知識的には私の考えが正しいと思います。
 親鸞聖人も父母の追善供養のための念仏は一度も称えたことがないとおっしゃっています。私から亡き人へ向かってする行為であれば、読経も礼拝も本来の意味を見失います。お仏壇やお墓の前で手を合わせると、こちらからむこうに向かってしている一方的な行為に思
えますが、実はむこうからこちらへ手を合わさせるうながしに気付く機会でもあるのです。
 このおばあちゃんのことを思い出すとき、どんな気持ちで「お経はごちそう」とおっしゃったのか、この言葉の背景は何だろうと思いを馳せます。この思いは生前には不思議と起きることはなく、おばあちゃんが亡くなってから感じるようになりました。お別れをしてからでないと、その本質に触れることは難しいということなのでしょうか。 

合 掌

住職  伊藤 洋

☆「お経」とは… お釈迦様が直接お説きになった言葉を文字にしたものが「経」です。後の時代に書かれたものは、「経」の論文や注釈書に当たります。

「正信偈」は親鸞聖人が「経」を解釈したものです。