ひとくちメモ


迷信・正信
第68号(2007年9月)
 つい先日、友引にお葬儀がありました。一般的に、友引は避ける方が多いのですが、このお葬儀に到るまでには遺族の方々の苦悩があったようです。
 友引の日の葬儀、三ヶ月にかかる四十九日の法要、命日を過ぎた年回法要など、仏事に関して避けた方が良いと言われることをいくつも耳にしますが、どれも宗教的根拠の無いものです。共通している理由は「むかしから、みんなしているから」という、どこにも責任の所在の無いものです。
 避けることによって、不安や憂いを解消する習慣は、時として大切なことを見失ってしまいます。ご縁の方の死を通して生活のまことを教えていただける行事が仏事としての葬儀です。決して禍を避けることを願うような場ではありません。
 しかしながら、お参りにおいでになる方の心情を考えると、本来の意味がわかっていても習慣は厚い壁になると思います。ご商売をされていたりすればなおさらです。大切なことは結論を出すまでに苦悩されるということです。世間の習慣に従って簡単に決めてしまわずに、何が最も大切なことかを確かめることが必要です。仏事はそれだけ重要な意味を持った行事です。そして、このことに対して、日ごろから出来る準備が聞法(仏教を聞く)なのです。