壮年研修会中止のお知らせ
コロナ騒動が始まって以来百日余り、不自由なくらしがつづいております。この世は私達が努力しても、どんなに願っても、思うようには動いていかないことを多くの人が知りました。自分に何が起こってくるのか、そのことには全く手が出せないことはすでに佛教で教えられています。必ずしも善因善果ではありません。しかしこの身にもち上がってきた事実を、どのように感じるか、どのように受け取るかは、私達に与えられている自由です。そこにその人の人生があります。かつてユダヤ人のフランクルは、人が生きる価値として、態度決定する価値といっております。我身におこってきた事実に対して、どのような態度を決めるか、そこにその人の生きる価値があるというのです。おこってきたことがらよりも、そのことに対応するこちらの姿勢・行動にこそ生きる意味があると教えています。
私達はどういう状況の中でも生きねばなりません。思い通りにいかない現実を嘆き、愚痴を言って生きるか、それとも困らせている現実を一つの転機として、今まで気づかなかったくらしを見つけるとか、これまでなかった心が生まれていることを知るくらしになるか、そこに生きるうえで大きな開きがあります。こういう窮屈な日々ですが、再び帰ってこない大切な御縁として過ごしていただきたいと願っております。
今月も壮年研修会を中止することといたしました。現状を考えると再開の見通しは全く立ちません。人が集まり触れ合うことで成立してきた聞法会ですがそれが叶わない今、再開までどのように歩んでいくかともにお考え下さい。壮年会へのご意見ご要望、最近感じていることや気になった言葉・本など何でも結構です。お手紙・メール・お電話でお寄せ下さい。皆さまのお声をお待ちしております。 合掌
前住職 伊藤元
メールアドレス tokuren@ceres.ocn.ne.jp
電話番号 (093)531ー1015
壮年研修会中止のお知らせ
今年2月以来、新型コロナウィルス騒動の終息が見通せないので、5月15日の壮年研修会は中止せざるを得なくなりました。次回以後については、この騒動の推移によって決めたいと思います。
現在、コロナウィルス騒動で、経済、教育、政治等の面で私達は多大な影響を受けています。今、経済的にも精神的にも、追い詰められて、生きることが危うくなり、途方にくれている人が多いことを報道で知りました。正に雑会(何でも起こり得るところ)という言葉がひびきます。
これまで何を依り所として生きてきたのか、又信頼すべきものを何に置いてきたのか、そのことが身に問われています。
かつて故安田理深師が「人間の絶望をこえる現実がある。いくら絶望しても現実は少しも変わらない。絶望より現実の方が大きいのだ。」そして「絶望を縁として自己を深めてゆけ、自己を深めることによって難関を突破してゆけ。」と言われた言葉が甦ってきます。変わりようもないこの現実こそ、深く生きる縁であろうと思います。そして生きる智慧としての因が教えとなって既に与えられていることにも気づきます。
この現実に立って、更に教えに聞いてゆかねばならないと感じております。皆さまのご健勝を念じます。 合掌